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東京地方裁判所 昭和61年(特わ)1546号 判決 1987年1月19日

主文

被告人を懲役二年六月に処する。

未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入する。

押収してある覚せい剤二袋(昭和六一年押第一一九九号の1、2)を没収する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、法定の除外事由がないのに

第一  昭和六一年六月一〇日頃、東京都墨田区吾妻橋一丁目一六番五号付近路上に駐車中の乗用自動車内において、覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパン約〇・〇二グラムを含有する水溶液約〇・二五立方センチメートルを自己の左腕部に注射し、もつて、覚せい剤を使用し、

第二  同月一四日、東京都台東区浅草一丁目二四番付近路上において、覚せい剤である塩酸フエニルメチルアミノプロパンの結晶約〇・七三グラム(昭和六一年押第一一九九号の1、2はその一部)を所持し

たものである。

(証拠の標目)(省略)

(弁護人の主張に対する判断)

一  弁護人は、宮澤興生巡査部長ら四名の警察官が被告人に対する職務質問を行うに当り、被告人の任意の承諾によらず、逮捕と同視しうる程度の物理的強制を加えた上で被告人をパトカーに乗車させて浅草警察署まで連行し、同署において、右違法な任意同行に基づく身体拘束状態を利用して被告人に対する所持品検査や被告人からの採尿などを行つたのであるから、右手続には令状主義の精神を没却せしめるような重大な違法があり、したがつて、右違法な手続によつて得られた証拠、即ち、押収された覚せい剤、注射器などの証拠物や尿及び覚せい剤の鑑定書等はいずれも違法収集証拠として排斥されるべきであり、又、被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述(自白)調書も任意性を欠くものであつて証拠能力がなく、結局、本件公訴事実を証明するに足る証拠はないから、被告人は無罪である旨主張する。

二  そこで以下検討するに、「証拠の標目」挙示の前掲関係各証拠に証人洞ケ瀬雅彦、同那須竜三の当公判廷における各供述及び証人小坂淳に対する当裁判所の尋問調書に被告人の当公判廷における供述等を総合すると次の事実が認められる。即ち、

昭和六一年六月一四日午前一時頃、警視庁第二自動車警ら隊所属の宮澤興生巡査部長は同僚の福田健治巡査と共に浅草の通称国際通りをパトカーで三の輪方面から浅草橋方面に向つて警ら中、暴力団抗争事件や覚せい剤取締の重点警ら地区となつている台東区浅草一丁目二四番付近の暗い路地から急ぎ足で出て来た一見暴力団員風の被告人を発見したため、パトカーを降りて被告人に近付くと、被告人が顔色が悪く、頬がこけて覚せい剤常用者特有の顔つきをしていたことから、覚せい剤使用の疑いを抱き、職務質問をすべく声をかけたところ、被告人は有無を言わず反転して逃げ出したため、右疑いを一層深め、被告人を停止すべく追跡した。被告人は、宮澤巡査部長やこれに協力した小坂淳らの一般人にも追跡され、付近の路地の角を右、左に折れながら懸命に逃走したが、路地から通称ロツクサンロードの通りに出た付近において、後方間近に迫つて来た右小坂に右背部付近の服を摘むようにして触れられ、逃走の疲れもあつて身体のバランスを崩し、前方へ勢いよく転倒した(この転倒状況を証言する小坂供述は、その内容に照らし、具体的且つ詳細で迫真性に富む上、その状況を最も間近で目撃して極めて印象深い出来事として記憶していたことが窺われ、それを証言するに至つた経緯・動機やその立場等に鑑みても、ことさら警察に協力して被告人に不利益な虚偽の供述をしなければならないような事情も見当らず、転倒状況についての一貫しない被告人の当公判廷における供述、即ち、第四回公判期日においては、「転んだのではなく、疲れて一回膝をついただけである」旨供述しながら、右小坂証言後の第七回公判期日においては、「逃走途中にロツクサンロードの車道と歩道の段差があるところに左足をとられて踏みはずし、前のめりに滑つて膝をついた」などと相当ニユアンスの異なる供述をして一貫するところがないその供述態度等をも併せ考えると、小坂供述中、少なくとも被告人がその肩等を路上に強打していてもおかしくないような体勢で勢いよく前方に転倒した旨の供述部分はこれを十分措信することができると言うべきである。)そこへ宮澤巡査部長の追跡に途中気付いた付近の六区交番の洞ケ瀬雅彦巡査が駆け付け、やや遅れて宮澤巡査部長が到着した。宮澤、洞ケ瀬の両警察官がなおも逃走を図ろうとする被告人の肩や腕などを押えるなどの方法で右逃走を阻止するうち、前記福田巡査もパトカーで到着し、六区交番の那須竜三巡査も応援に駆け付けて来た。四名の警察官は、こもごも、その後も肩や腕を振るなどして暴れながら隙あらば逃走を図ろうとしている被告人の両側からその腕等を掴むなどして制止したり、近くで被告人の動静を注視するなどしながら、宮澤巡査部長或いは洞ケ瀬巡査において、福田巡査が停めたパトカー横の歩道上で一見暴力団員風の被告人が凶器を所持しているか否かを確認するため、被告人の着衣の上から触つたり、軽く叩くなどの方法で所持品検査を行つた。その間も被告人の態度は終始変わらず、肩や腕を振るなどして暴れる態度を示すため、二人の警察官が被告人の両側からその肩や腕等を押えたり、掴むなどした状態のまま所持品検査を実施した。その結果、被告人が凶器を所持しているような形跡はなかつたが、その頃には多くの野次馬がたかつていたことから、その場で被告人に対し職務質問を続けることが適当ではないと判断し、車で二、三分の距離にある最寄りの浅草警察署まで被告人を同行することにした。福田、那須の両巡査は、その後も態度の変らない被告人の左右からそれぞれその腕や手首などを押えたり、掴むなどした状態のまま被告人に浅草警察署までの同行を求めたが、被告人は素直にパトカーの後部座席に乗ろうとはせず、片手をパトカーの屋根上に、片手をドアガラスの上におき、突つ張るような状態で拒んだため、福田巡査や宮澤巡査部長らが被告人に逃走の理由を聞く必要があることなどを説明して説得に当つたところ、被告人は渋々手の力を抜いてパトカーの後部座席に自ら乗車した。その際、近くで被告人の動静を注視していた宮澤巡査部長は、被告人が紙包みのものを路上に落すのを現認し、それを拾い上げて被告人に示したが、被告人が「おれのじやないから知らねえ」と言つたため、その中を見分したところ、覚せい剤様のものが発見された。同巡査部長はそれまで多く覚せい剤事犯を検挙してきた経験を下にそれが覚せい剤であると判断し、そのままそれを保管した。そして、同巡査部長がパトカーを運転し、その後部座席には、福田、那須の両巡査が左右から被告人を挟む恰好で着席したが、被告人は右乗車後も肩や腕を振つたり、足をばたつかせるなどし、時には運転席の方へ前のめりになつて暴れるため、運行の安全も考慮して、福田巡査が被告人の左手首を握り、那須巡査が右腕を掴むなどして被告人を制止した状態のまま浅草警察署まで同行した。同署到着後も被告人の態度が変わらなかつたため、福田、那須の両巡査が被告人の両側からその腕などを抱えるようにして被告人を同署四階の保安係の部屋まで同行したが、同部屋に入つた頃から被告人の態度も落ちついたため、宮澤巡査部長が職務質問に当り、被告人の氏名、生年月日等を尋ねたところ、被告人は着衣のポケツトから自ら身体障害者手帳等を取り出して机の上に置き、次いで、所持品検査の求めに対し、ふてくされた態度で上衣を脱いで投げ出したため、これをもつて所持品検査についての黙示の承諾があつたものと判断し、宮澤巡査部長が右上衣を調べ、福田、那須の両巡査が被告人の着衣の上から触るようにして所持品検査するうち、外部から見て被告人の左足首付近の靴下の部分が脹らんでいるのを見つけたため、そのまま中のものを取り出して確認したところ、覚せい剤様のものや注射器等が発見された。その間、被告人は抵抗したり、抗議を申し出たりはしなかつたものの、終始ふてくされた様子であつた。そこで、当夜宿直であつた同署保安係の漆野弘巡査部長に依頼して被告人の左足首付近から発見された右覚せい剤様のものと被告人がパトカーに乗車する際落した覚せい剤様のものが覚せい剤であるか否かの試薬検査を実施してもらつたところ、覚せい剤特有の反応がいずれからも出たため、同日午前一時二〇分頃、宮澤巡査部長らにおいて被告人を覚せい剤所持の現行犯人として逮捕すると共に、前記覚せい剤二袋と注射器等を証拠物として差押えた。その後、同署保安係の渡邉義之巡査が被告人に排尿とその尿の提出を求めたが、被告人は当初弁護人の立会を求めるなどして応じなかつたため、工藤巡査部長が条理を尽くして説得に当つたところ、被告人はこれに納得して任意に排尿の上提出したため、そのまま右尿を押収した。以上の事実が認められる。

三  これに対し、被告人は、当公判廷において、所持品検査や任意同行の際の状況につき縷縷右認定に反する供述をし、特に、被告人自身は暴れたり、特段抵抗するようなことは何らなかつたのに、警察官によつて腕をねじられ続け、且つ壁に肩をぶつけられたり、足を後から蹴り上げられたもので、逮捕当日(六月一四日)井上禮子医師によつて診断された右肩関節、右手首及び左下腿部の打撲(井上禮子医師作成の診断書及び診療記録写並びに井上禮子証人に対する裁判所の尋問調書)と当日着用の上衣にできたかぎ裂きの原因は、警察官の右暴行に因るものである旨供述する。しかし、右任意同行等に関係した四名の警察官がいずれも当公判廷において一貫して右暴行の事実を強く否定しているのに対し、被告人の右供述は、井上医師の証言によつて前記打撲傷のうちでは唯一、比較的重かつたと認められる右肩関節打撲の原因につき、第四回公判期日において、「警察官によつて腕をねじられ続けたため右肩を負傷した」旨明確に供述しながら、井上医師の証言後、即ち、同医師の経験上、被告人の右肩関節の受傷が腕をねじられたことに因つて生じたとは考え難い旨の証言後である第七回公判期日において、「右腕を警察官にねじられた上、主に右肩を壁にかなり強くぶつけられたために受傷した」などと右井上証言に沿わせるような形で変遷して一貫するところがなく(因みに、被告人は、第四回公判期日において、「左腕を壁にぶつけられたため、上衣の左ひじにかぎ裂きができた」旨供述し、又、井上医師の証言によると、同医師に対しては、右肩の負傷は蹴られたことに因るものである旨をしきりに訴えていた模様である。)、又、左下腿部の打撲についても、井上医師の証言に照らし、その受傷位置からして、被告人がその原因として供述するような後方からの足蹴りに因るものとは考え難いこと、被告人の当公判廷における供述を全体として見ても、例えば、宮澤巡査部長に声をかけられて逃げ出した理由、動機について、被告人は、「警察の密偵の如き役割を果たしていたもので、当日も覚せい剤等の密売事件の調査のために奔走し、先を急いでいたためである」などと供述して憚らず、又、自己の左足首付近の靴下の中から発見された覚せい剤や注射器等についても、「全くそれまで気付かず、意識もしていなかつた」などと不自然、不合理な弁解を重ねるなど、到底真摯な供述態度とは認め難いこと、更に、井上医師によつて診断された被告人の打撲傷(特に右肩関節の打撲)については、前記小坂淳や井上医師の各証言内容に徴して、ロツクサンロードに出た付近での転倒の際に負傷した可能性も十分考えられる上、多くの野次馬の面前において、被告人の供述するように、四名の警察官がこもごも、暴れもせず、特段抵抗もしない被告人に対し、足蹴りや壁にぶつける等の暴行を加えたなどとは社会通念上も考え難いこと(なお、この点についての小坂淳の証言は必ずしも明確ではないけれども、被告人がパトカーに乗車するまで所持品検査等の状況を傍観するなどしていた小坂淳は、警察官が被告人に乱暴を加えているような様子は、見た限りにおいては、なかつた旨証言する。)などを併せ考慮すると、警察官によつて所持品検査や任意同行の際に暴行を加えられた旨の被告人の前記供述はこれを容易く措信するわけにはゆかない。

四  そこで本件を考察するに、宮澤巡査部長らが逃走する被告人を追跡するなどした後、被告人に対する職務質問の方法として被告人を浅草警察署まで同行し、同署において、所持品検査をした上で被告人を覚せい剤所持の容疑で現行犯逮捕し、被告人から採尿するまでの経緯及びその間にとつた諸措置の態様は前記二に認定のとおりであるが、警察官による浅草警察署への右同行時及びその前後の状況、特に当時の被告人の警察官に対する執拗な拒否的反抗態度とその様な被告人に対する警察官らの有形力の行使も含んだ対応状況(即ち、被告人は、パトカー乗車前の所持品検査に際しても、執拗に肩や腕を振るなどして抵抗し続け、浅草警察署への任意同行を求められてパトカーに乗車するに際しても、当初手をパトカーの屋根やドアガラスの上において突つ張るようにして抵抗し、その間、宮澤巡査部長ら四名の警察官がこもごも被告人の両側からその腕や肩などを掴むなどして制止したり、或いは近くからその動静を注視していなければならなかつたこと、パトカー乗車後の車内においても、被告人は肩や腕を振り、足をばたつかせるなどし、時には運転席の方へ前のめりになつて暴れ、そのため福田、那須の両巡査が浅草警察署到着まで被告人の左右からその腕や手首を掴むなどの有形力を行使して制止せざるを得ない状況にあつたこと)等に鑑みると、外形的には、警察官らの強制力によらず、被告人が警察官らの説得後に自ら渋々パトカーの後部座席に乗り込んだ事実が認められるとはいうものの、これをもつて浅草警察署への同行について被告人の任意の意思に基づく承諾が黙示にしろあつたとは断じ難く、その点で右は違法な任意同行であるとの誹は免れず、又、浅草警察署における所持品検査についても、右違法な任意同行に基づく状態を直接利用して行われたものである上、同署保安係室における四囲の状況やそこに至るまでの経緯に照らし、被告人が警察官からの所持品検査の要請を拒否することは著しく困難であつたことが窺われ、所持品検査に際しての終始ふてくされた被告人の態度を考慮しても、右検査について被告人の任意の承諾があつたものとは認められず、加えて、その所持品検査の態様も併せ勘案すると右所持品検査についても違法があるとの誹は免れず、更に、現行犯逮捕後の被告人に対する採尿手続も、それ自体は被告人の任意の意思に基づく承諾の下になされたとはいえ、それに先行する任意捜査の域を逸脱した前記一連の手続を承継している点で、これまた違法性を帯びるものと評価せざるを得ない。

しかしながら、任意同行や所持品検査、更にはそれらに引き続き行われた採尿手続が違法であると認められる場合でも、それをもつて直ちに右手続の過程で得られた覚せい剤などの証拠物或いはその覚せい剤や尿の鑑定書等の証拠能力が否定されると解すべきではなく、その違法の程度が令状主義の精神を没却するような重大なものであり、それらを証拠として許容することが、将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないと認められるときに、右証拠物や鑑定書等の証拠能力が否定されると解すべきところ(最高裁昭和六〇年(あ)第四二七号同六一年四月二五日第二小法廷判決・刑集四〇巻三号二一五頁参照)、これを本件につきみるに、任意同行等に際しての警察官らの被告人に対する有形力の行使は、固より暴力にわたるようなものではなく、被告人の容疑の濃厚性や任意同行をすべき必要性、緊急性、或いはパトカー運行の安全等をも考慮した具体的状況の下で、当初からの被告人の執拗な拒否的反抗態度に対応して職務質問の目的を達成するために已むを得ずなされた措置であつたと認められること、宮澤巡査部長は、被告人がパトカーに乗車する際紙包みのものを路上に落すのを現認し、その内容物を見分した上で、それまで多く覚せい剤事犯を検挙してきた経験を下にそれが覚せい剤であると判断したのであるから、それまでの被告人の行動や態度、風貌等も考慮して、その時点で被告人を覚せい剤所持の容疑で現行犯逮捕又は緊急逮捕をすることも許される程度の状況にあつたと認められること、任意同行に際しての被告人のパトカー乗車それ自体は、警察官らの有形力の行使によるものではなく、渋々ながらも警察官らの説得に応じた形で被告人自ら車内の後部座席に乗り込んでいる上、浅草警察署到着までの所要時間はわずか二、三分程度であつたこと、同署保安係室での所持品検査においても、被告人は終始ふてくされた態度であつたものの、それを明確に拒否したり、異議を申し出るようなこともなく平穏に実施され、それに当つた警察官らも、実質的には前記のとおりそれまでに被告人を覚せい剤所持の容疑で現行犯逮捕又は緊急逮捕しうる状況の下で、いまだ捜索に至らない程度の手段、方法で所持品検査を行つていること、右任意同行や所持品検査の状況や態様等に照らし、警察官らにおいて令状主義に関する諸規定を潜脱しようとの意図があつたものとは窺えないこと、更に、採尿手続自体は、何らの強制も加えられることなく、被告人の自由な意思での応諾に基づき行なわれていることなどの事実が認められるのであつて、これらの点に徴すると、任意同行や所持品検査、更には採尿手続も含めた本件手続の違法の程度は、いまだ重大であるとはいえず、右手続の過程で得られた覚せい剤などの証拠物やその覚せい剤や尿の鑑定書等を被告人の罪証に供することが、違法捜査抑制の見地から相当でないとは認められないから、右証拠物や鑑定書等の証拠能力は否定されるべきではないというべきである。

五  更に、弁護人は、被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述(自白)調書は、警察官が被告人を脅迫して供述させたもので任意性が欠ける旨主張し、被告人も、当公判廷において、被告人が所持していた領収証に記載されていた名前の女性の所に家宅捜索に行く旨脅迫されて自白した旨供述するけれども、被告人の取調に当つた漆野弘巡査部長は、当公判廷において右脅迫の事実を明確に否定している上、被告人を覚せい剤所持の容疑で現行犯逮捕し、既に被告人から採尿した尿からフエニルメチルアミノプロパンが検出された鑑定結果も出ていた状況の下で、取調警察官において右のような内容の脅迫をしてまで本件につき被告人から自白を得なければならなかつたとは考えられず、他方、被告人においても、当初からの事実否認後初めて自白するに至つたのは、警察官面前においてではなく、検察官面前においてであり(被告人の検察官に対する昭和六一年七月二日付供述調書)、又、右のような警察官の言辞によつて前記自白調書にみられるような具体的且つ詳細な供述をしたものとも考えられないから、取調警察官において被告人に対する右のような脅迫があつたものとは認められず、他に任意性に疑いを生ぜしめる事情も認められないから、被告人の検察官及び司法警察員に対する前記供述(自白)調書の証拠能力はこれを肯認することができるというべきである。

六  以上によれば、弁護人の主張はいずれも理由がなく、「証拠の標目」挙示の前掲関係各証拠はいずれも証拠としての許容性を有するから、これによつて判示各事実は優に肯認することができるというべきである。

(累犯前科)

被告人は、(1)昭和五七年三月一八日浦和地方裁判所で覚せい剤取締法違反の罪により懲役八月に処せられ、同年一一月一六日右刑の執行を受け終わり、(2)その後犯した同罪により昭和五八年三月三一日東京地方裁判所で懲役一年六月に処せられ、昭和六〇年三月七日右刑の執行を受け終わつたものであつて、右事実は検察事務官作成の前科調書並びに右裁判に関する判決書騰本三通、判決書抄本一通及び決定書謄本一通によつてこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は覚せい剤取締法四一条の二第一項三号、一九条に、判示第二の所為は同法四一条の二第一項一号、一四条一項にそれぞれ該当するところ、被告人には前記の各前科があるので刑法五九条、五六条一項、五七条によりそれぞれ三犯の加重をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第二の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役二年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入し、押収してある覚せい剤二袋(昭和六一年押第一一九九号の1、2)は判示第二の罪に係る覚せい剤で被告人が所有するものと認められるから覚せい剤取締法四一条の六本文によりこれを没収し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用してこれを被告人に負担させないこととする。

よつて、主文のとおり判決する。

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